『反貧困−「すべり台社会」からの脱出』を読んで

 なぜ貧困問題にこだわるのか

 それは自分自身が日本の「すべり台社会」の中で実際に滑り落ちそうになった経験があるからである。
 別の回答もあるが、それは以前に述べたことがある。

 ちょっと前まで、東証一部上場企業に勤めていた。会社の規模も給料も中級であったが、贅沢をしなければ世間並み以上の生活は保障されていた。子供のほんのちょっとした、しかし、重大な問題が無かったら多分、貧困や世間の弱者にはほとんど関心が行かなかっただろうと思う。このホームページも作っていなかっただろう。ところが、会社の規模がそれなりに大きいと言うことは、転勤の可能性が高いことを意味する。そして実際に転勤で単身赴任した。その当時は、長期休暇には車で九州と関東を往復した。大学時代から身の回りの事は自分でこなす生活をしていたので単身赴任自体はそれ程、苦痛ではなかったが、単身赴任のまま、知らない間に子供が大きくなるのは許せなかった。子供の問題もあり、2年間程度単身赴任を経験して会社を辞める事にした。

 辞めたのは良かったが、次の仕事が見つからずに1年半遊んだ。やっとのことで就職にありついたのは、塾の教師であったが、思っていたのと全然違う職業であった。九州最大規模の進学塾であるが、経営者は、自分達は神様だと言いたげな異様な雰囲気を持った会社であった。館長の嫁さんは自分を何様だと思っているのか、会場に集まった社員の中をしゃなりしゃなりと歩いて演壇に登る。社内での社員の押さえつけはかなりひどかったから、塾を退職した後も会社に恨みを持った元教師がたくさんいるようである。生徒の夏休み中は、塾は特別授業になるから、朝8時から夜23時までの教師にとって過酷な授業が続く夏休みが終わって残業手当を正当な時間申請したら、教室長は平気な顔でばっさり削るこれは完全に悪質だろう!

 さらに塾では受験前の冬休みなどにホテルで合宿をやる。これは教師にとっては、地獄の合宿となる。朝から晩まで授業の連続で夜も生徒の監視や翌日の授業の準備で酷い場合、徹夜の連続となる。私の同僚の若い女性は、この合宿から帰ってきて即入院となった。彼女は10日間位入院して退職していった。退職時に見た彼女の顔は生気が無く、やつれて別人のような顔になっていた。半分、廃人である人間が壊されていると感じた。会社は見舞いもせず、しらんぷり。使い捨て従業員が業務で病気になろうと入院しようと関知せずなのである。これで「塾生からノーベル賞受賞者を」とか、馬鹿なことを言っているから可笑しい。従業員の健康管理一つできずに何がノーベル賞だ。話が本題から外れたついでに書くが、塾の幹部教師達は塾生が目的の学校に入学した後、成績が振るわないのを知っている。要するに受験対策をきっちりした資料を用いて、どんどん生徒に詰め込むから、元々頭の良い生徒も集まり確かに有名私立校や福岡近郊の上位公立高校への合格率は抜群であるが、ただそれだけである。創造性の教育も無く、受験テクニックだけ教えて何がノーベル賞だ。商売は旨いが、本当の日本の子供達の教育には何ら貢献していない。この経営者が、日本の教育を論じているからまた可笑しい。現社長は東大工学部を出た後、医学部卒。医者になるつもりも無いのに何故医学部に行った。嘘か本当か、知らないが、医学部主席卒業を自慢するためか!国費の無駄使い

 こんなアホみたいな会社にはようついて行けんし、塾はほとんど立ちっぱなしの為、膝を痛めて約1年半で辞めた。その後、3ヶ月職探しをして現在の仕事に就いた。その遊んでいる最中に立ち上げたのが、このホームページであり、先の失業中に行った北海道や東北の山の記録を最初に掲載した。
 給料は最初税込みで月に16万円であった。年収が税込みで192万。何が寂しかったかと言うと昔、1回のボーナスで貰っていた金額を1年間掛けて稼ぐのである。年収は以前の1/4〜1/5である。完全なワーキングプア状態である。夫婦共働きであったので何んとか年収300万台を確保できたが、これで5人が生活するのである。私の場合は、少々の蓄えもあったし、技術屋としての経験もあった。

 蓄えも技術も無ければ、どこまで転落していたかワーキングプアは私にとって他人事ではない。正に「すべり台社会」を下段まで落ちて現在、這い上がろうとしているのである。

 『反貧困』−「すべり台社会」からの脱出』岩波新書の著者は、東大大学院法学政治学研究科博士課程退学後、1995年から野宿者(ホームレス)支援活動を行っている湯浅誠氏である。この本は、実際にホームレスの支援活動を行っている人が書いているだけあって、貧困問題の本質を掴んでいると感じた。また、自分自身がまだ世間に蔓延している支配層のデマ思想に染まっていることを再認識した。

 第1章「ある夫婦の暮らし」は簡易旅館で生活する新田夫妻(仮名)が、なぜそのような境遇になったかが、述べられている。そこには、夫妻の苦しい生い立ちが、その父母の時代に遡って述べられている。「まじめに働き続けているのに、少年期・青年期の不幸・不運がその後の人生で修正されず、這い上がろうにもそれを支える社会の仕組みがない」ということをこの現実は示している。

 第2章「すべり台社会・日本」では、現在の日本では、雇用のネット、社会保険のネット、公的扶助のネットの三層のセーフティネットが正常に機能していないことを示している。国税庁の発表では、年収200万円以下の給与所得者が2006年に1022万人に達し、「まじめに働いてさえいれば、食べていける」状態ではなくなった事を示している。ここで重要なのは、『「自由で多様な働き方」を求めて、人々が非正規雇用に流れていったとする考え方は後付けであり、実際のプロセスを歪曲している。』とずばり述べている。経団連等の財界の言いなりの政策を実行し、そして、非正規雇用を「自由で多様な働き方」と誤魔化す政府。今頃、非正規雇用が増えたのは拙かったと反省しても遅い。
 そして著者は、三層のセーフティネットが機能不全に陥り、刑務所が第4のセーフティネットになっている実態を述べている。執行猶予中に150円の賽銭泥棒で実刑判決を受けた例等。著者は、「彼が再び刑務所に戻らないために本当に必要なことは、彼が賽銭箱に手を伸ばさなくても生きられるようにすることではないか。」と厳罰主義を批判している。
 『「愛する母をあやめた」理由』では、悲惨な事件の例が紹介されている。この事件では、京都地裁が「日本の生活保護行政のあり方が問われているといっても過言ではなく、この事件を通じて何らかの変化があるものと思う」と異例の説諭を行ったことを紹介している。

 第3章「貧困は自己責任なのか」では、貧困の自己責任論を批判している。この貧困自己責任論は自民党の主張である。あのヤンキー先生こと義家弘介がテレビで、「やる気のない者まで助けるのか?」と主張していたが、これも正に貧困自己責任論である。それよりも悪質なのは、人材派遣会社社長の奥谷禮子の発言である。過労死について『経営者は、過労死するまで働けなんて誰も言いませんからね。ある部分、過労死を含めて、これも自己管理だと私は思います』、『基本的に個人的に弱い人が増えてきている。・・・自分で辛ければ辛い、休みたいと、ちゃんと自己主張すればいいんだけれど・・・・・』。
 こいつは現場を知らない。こんな馬鹿人間を自民党は労働政策審議会の労働条件分科会委員に選んでいるのである
 著者は、貧困についてノーベル経済学賞を受賞したアマルティア・センの貧困論を紹介し、その本質を「溜め」という言葉で表現し、『貧困とは、このようなもろもろの“溜め”が総合的に失われ、奪われている状態』だと示している。そして、貧困問題は自己責任ではないことを示している。
 あの大分の金で教員試験に合格した教員達の親の力も“溜め”であり、親のコネも“溜め”であり、親が教頭であることも“溜め”なのである。これら“溜め”の無い人間が、教員試験に合格できない、下手したら減点されて合格したかもしれない所を落とされる。例えが悪いか。

 第4章「「すべり台社会」に歯止めを」、第5章「つながり始めた「反貧困」」、終章「強い社会をめざして」と後半で著者は、反貧困の活動と現状について述べている。私は読んだ本の内容は直ぐに忘れるたちなのであるが、この本はまだ自分が間違ったものの見方をしていることを教えてくれた貴重な本である。義家弘介君なんかは、こういう本を読んでもっと勉強すべきである。

(2008年7月26日 記)

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